2017年10月11日

第一創業は飲食業

25年が経過して「女性の生き方に関するセミナー」等、口答ではお話したことはありますが、やっと活字にできるようになって来た今日このごろ。

「あじふく」という割烹を経営しておりました。

味は福をもたらすという意味です。

大阪の船場で「下町の吉兆」とお客さまから揶揄いただきました。

近くに「吉兆」があり、昼間はランチでも値切る船場商人が夜はお客さまの接待に惜しみなくお金を遣う街。

全てはお客さまの中に正解がある。

そんなシンプルな答えを教えていただいたことを今も感謝しています。

 

ニックネームの通り、凝った食器に、滅多に食べれない食材や手に入りにくい日本酒を提供、女将の能書き付きのサービスが売りでした。

勉強になったことは沢山あり、私の人生の財産です。

自分が好きなものを、好きな空間で、好きな食器で提供する。

ど素人が全部自分で準備した店。

基本メニューも全部最初は自分で考えました。

コンセプトは「1ヶ月に一度行く、隠れ家のような店」

 

ところが、

凝った食器の採算性の低さ。

あっと言う間に割れてしまいます。

特に大好きだった備前焼きや萩焼など、土モノは脆く、繁忙期や競る時間帯に仲居さんや洗い場さんの手で簡単に欠けてしまいます。

実は食器はお客さまが割るものではないのです。

 

滅多に食べれない食材は高価。

地方から空輸で届けてもらっていましたので、安い原価でも運送費が加算されます。

また越寒梅など、今の獺祭のような人気銘柄。

新潟のクラブのママに切れないように依頼に行ったこともあります。何度も頼みに行くと「ちゃんとルートを創るから、もう来なくていい」と言われるまで粘りました。さらに、品薄の時は東京から1本1万で仕入れておりました。切らさないという行為は、高い金額でも購入する必要がありました。

 

能書きは毎日入荷する食材と「花板さん」が作るメニューの内容を、かなり大層な口上でお客さまが口に運ばれる前に説明していました。

毎日メニューは筆で書いておりました。

さらに、各常連さまの好きなメニューのデータベースを自分用に作ってました。今ならクラウドでオンラインですが(笑)

 

何故、封印してきたかというと、あまり物事には捕われないタイプですが、

・長い準備から開店、雑誌などに取り上げられるまでは私の功績ですが、有名店になった途端、道半ばにしてお店を去ってしまったこと。

・成功店になってからは私の後任の女将が頑張って守っていたこと。

・お客さまへの挨拶文に研鑽後、また飲食業に戻ると書いていたこと。

・離婚と同じで開店より女将という看板女優が辞める時は数倍のエネルギーと人間関係が複雑であったこと。

などが挙げられます。

 

今でも本町通りで、自分で作ったチラシにヤクルトをつけて撒き、それを受け取ったお客さまが「こんなもの、もらったからしゃあないから来た」と半分恥ずかしそうに言われてお店に来られた時に、心から喜んだことを覚えています。

満員御礼のなった時の高揚感は他の仕事では感じられないほどの達成感がありました。

が、今から考えると属人的なタスクばかりでフランチャイズとは程遠いものでしたが、この仕事の経験が自分を大きく変えました。仕事で恐いものが無くなりました。

 

数年後。

飲食関連の展示会で「3日で蕎麦職人になれる」というフランチャイズの看板を見て愕然としました。

一人でつぶやきました。

「やっぱりこれだわ。。。」

 

電経新聞2015.6.15 『ワークとライフワーク』

http://alnw.co.jp/cms/wp-content/uploads/2015/06/504f2e3f31ced3c1e24a08dfa684d2e2.pdf