2017年10月9日

フランチャイズとの出会いーOL時代

大学を卒業し今は上場しているカー用品メーカーに就職しその後、OL生活(いまはOLでなく、会社員というのですね!)を送りながら2年も経過すると、毎日「私は将来、何をしたらいいんだろう」症候群でした。

一つ上の先輩には、「もうすぐクリスマスケーキだね」と言われることも。。。

これって今から考えるとセクハラ発言ですが、「はい!」とけなげに元気よく返答してました。

 

「中西には大事な仕事は任すな!」と上司に言われるくらい、付き合い残業はあまりせず、マイペースB型の典型。

17時半以降は外部とのネットワーク構築や、自分探しの時間に充てていました。

そのおかげで、会社以外のネットワークは沢山できました。

直の上司には評価は低かったですが、いまもお元気な当時の社長(現在も代表)にはとても可愛がっていただきました。

社長はじめ、幹部の方々、当時の先輩、同僚、後輩に心から感謝しています。

その後、自分で事業を立ち上げた以降は、まさか24時間お仕事モード人間になるとは。。。一番驚いたのは友人たちでもまわりでお世話になった方々でもなく、私自身でした。

結論から言いますと「会社員には向いていないが、起業家には向いていた」ということは事実のようです。

 

会社員でのポジションはメーカーの営業事務でしたので、その中で営業という仕事を覚えました。

小さな支店でしたのでクライアントに大きな伝説のフランチャイズ本部がありました。その時は漠然と「本部、直営、加盟店という構図」の3者がクライアントでした。

最初は、大きな売り上げを誇る「メガフランチャイジー」に本部とメーカーが異常な位、何故気を遣っているのか理由はわかりませんでした。

私が勤めていたメーカーも直接、売り上げが振り込まれる顧客でなくても、非常に大切にしている、

当時、勢いのあるフランチャイズ本部にメガフランチャイジーは大きな発言権を持つということは段々と理解できていきました。

 

会社には社員のために整備されていた貴重なものがありました。

毎日、誰も読まずに可哀想にクライアントのフランチャイジーの梱包に使用されていた日経MJ(当時の日経流通新聞」)や各種有名新聞たち。

あまりにもモッタイないので、上司にお願いして持ち帰りマイデータベースを創ってました。

「新聞の切り抜き」というもので、今の時代なら興味ある分野の情報が、プル型+プッシュ型で、勝手に自分のスマホやタブレットに入ってきますが、自分のノートに貼っていました。

最近までそのノートを大切に残していましたが、3日前に処分しました。

理由は、その当時残していた記事は自分の頭の中に残っているからです。

営業の男性たちは、沢山のビジネス書や新聞を会社から与えられながら、営業や日報作成に追われ、新聞やビジネス書は貯まっていくばかりなので、昼休みに私が一人で独占で読んでました。

本当に隠れた幸せ者でした(笑)